

当法人は1987年(昭和62年)に創られた共同作業所「ひまわりの家」が母体です。
「小豆郡手をつなぐ親の会」の親たちが、我が子が高松の養護学校を卒業し、
島に帰ってきても行き場がないことに心を痛めている姿を1人の元小学校教諭が
見て、何とかしなければと、立ち上がったのが始まりです。
設立時の想いが、今も大切に額縁に収められ廊下に掲げられています。
- 「ひまわりの家]とは
- 1.在宅の心身障害児(者)の共同作業所。
- 2.養護学校に通学している生徒の機能回復訓練と実習の場。
- 3.就職している障害児(者)や重度障害で作業困難な人々が集いあえる憩いの場。
- 4.家族とボランティアとの交流、研修の場。
そして、地元土庄町や小豆広域事務組合の理解と協力を得て、旧小豆島老人ホームの跡を譲り受け、
集まったお金を基本金に念願の社会福祉法人の認可を取得したのです。
共同作業所「ひまわりの家」は、平成13年2月、社会福祉法人 知的障害者通所授産施設「ひまわりの家」として再出発したのです。
私は、その3年後、平成16年に縁あって「ひまわりの家」に入りました。
法人化までの諸先輩はじめ多くの人たちの苦労は知る由もありません。
私が法人に入った翌年、厚生労働省から「障害福祉のグランドデザイン」が発表され、
「保護から自立支援へ」という考え方や、「障害のある人が普通に暮らせる地域づくり」という言葉が胸に響いたことを覚えています。ご家族や、地域の人たちの「ひまわりの家」に掛けた気持ちはまさにこれと同じなのだと思いました。
平成18年に施行された「障害者自立支援法」に基づいて、「ひまわりの家」に通う子ども達やその保護者が少しでも
暮らし易い小豆島にしなければと、役員・職員が力を合わせ頑張っているうちに11の事業を行う法人になりました。
一つ一つの事業は小さく、経営的には大変ですが、地域で暮らす知的障害児・者の幸せのためにサービスの充実を図り、地域福祉の推進に貢献できる法人であらねばならないと思っています。
「ひまわりの家」誕生の原点がそこにあると思うからです。
初代理事長故九冨彰三さん、二代目理事長故井上武夫博士、そして前任の井上泰好理事長からは「人間の尊厳」ということや、「信頼する」ということの大切さを教えて頂いたと思っています。
「嫌だったらいつ辞めてもいいから」と言われながら、子ども達と心が通じ合った時の喜びが忘れられなくて、
この子たちのために、あれもやらなければ、これも必要だからと頑張っているうちにあっという間に10年が過ぎました。
高齢化への対応や社会福祉法人改革への対応など課題は尽きることがありませんが、若い職員たちの力を信じて
共に頑張って参ります。どうかこれからも皆様方のご指導ご協力を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
平成26年9月吉日 岡 裕